「校庭の裏側」


 私とあなたの日々を全て嘘にされたから、
 私は空っぽになってしまった。
 私はこれからどうしたらいいのだろう。
 私はそれでも、あなたを、



 ぺたりぺたりと、あまり美しくない歩き方をして私は進む。東の方から射す眩しい光が、一昨日染めたばかりの髪の毛を幾分透過して、柔らかく瞳に刺さる。
 久しぶりの晴天に見舞われて、私の頭は朝から回らない。まだ年が明けたばかりの空からは、冷たさしか感じることができなかった。
 どうして、とかどうしよう、とは考えられなかった。
 思考はいつもそこで止まってしまうばかりだったし、ようやくそれを、突き止めようとするのを諦めることができるようになっていた。
 と言うより、まるまる三日そのことだけに費やして疲れていた、と言うのが本当だったが。
 どうして、とかどうしよう、とは考えなかった。
 携帯を開いてメールのフォルダを開こうとして、やめる。これも三日間、ずっとしようとしてやめて、を繰り返していた。おかげで携帯もずいぶんくたびれて見える。
 三日前に送られてきたメールは、だから結局最初の一回しか見ていなかった。
 スクロールするまでもない短い文。
 恐らく私がまた何かしでかさない限り、それが最後になるだろう。
 スクロールするまでもない短い文。
 拒絶の言葉。
 私は何もしなかった。
 ただ、私は、近くにいただけだった。友人として、もしくはそれ以上の存在として。
 それを許してくれているのだと思っていた。事実、私たちは近かった。周囲が、それを認めるくらいに。
 だがそうではないらしかった。
 どうして、とかどうしよう、とは考えてはいけなかった。
 それを改めて問いただすほどの勇気も冷たさも私は持ち合わせてはいなかったし、あなたがそう望むのなら。
そうやって、全てを押し殺してしまおうとしていた。
 そうすれば、過去の中に押しやれる気がして。



 ガタンゴトンと、アナログなリズムに揺れて電車は進む。
 時折雲間に隠れる太陽は、だから朝よりは幾分穏やかに輝いていた。
 久しぶりの晴天に誘われて、乗客の表情はいつもより明るい。私もそれにつられて、少しはしゃいだふりをした。
 どうして、とかどうしようとは考えなかった。
 ポーズのために着けているイヤフォンから流れる音は、ただの記号の羅列で、何の意味も為してはいなかった。
 ただ、聴覚を遮る壁ができたおかげで、私と世界は、ほんの少しだけ、剥離していた。
 どうして、とかどうしよう、とは考えたくなかった。
 人々に囲まれて自分の周りから静寂が離れていったおかげで、私の頭は幾分回るようになっていた。
 そう言えば昨日から紅茶ぐらいしか飲んでいない。お腹空いたな。そう思った瞬間、急激に体ごと現実に引き戻された。意外にまずいのかもしれない。道理で朝から、時々足元が覚束ないわけだ。
 何か食べよう。そうしたら、少しはどうにかなるだろう。
 どうして、とか何が、とは考えなかった。
 考えないことにした。



 心許ない財布を気遣って、駅にほど近いファーストフード店に入る。取り敢えず満たされれば良かったので、適当にメニューを選んで席に着く。
 ガラス越しの街並みは、空を映してざわめいている。だが、冷たい光のせいで、どうしてもそれらが嘘っぽく見える。
 まるで良くできた映画のような。
 どうして、とかどうしよう、とは考えられなかった。
 考えたくもなかった。
 不意にかけられた、斜め上からの声と頼んだメニューを受け取って、いただきますと呟いて口に運ぶ。人工の味が舌を刺激して、とんでもなく不愉快になった。眉をひそめて誤魔化した。舌の上が誤魔化されることはなかったが。
 どうして、とかどうしよう、と考えようとしてやめた。
 周囲のざわめきがやけに耳について、それでもそれをぶつけることはできなくて、軽く頭を振ってやり過ごす。
 コップの底の氷を意味もなく掻き回しながら、さてこれからどうしようと考えた。
 せっかく来たのだから、色々見て回ろう。正月明けで、どこも賑わっているはずだ。休みなんだし、のんびりしよう。そうしたら、少しはどうにかなるはずだ。
 どうして、とか何が、とは考えなかった。
 考えないふりをした。
 立ち上がって店を出る。冬の空気がやけに心地よかった。




 運命なんてものが存在するとしたら、それが私たちの常識に則って構成されているはずがないのだ。それはまるで無理矢理に建てられた積み木の塔みたいなもので。きっと酷く不安定で無秩序ですき間だらけの強固なものなのだ。
 つついたら、全てが崩れてしまうような。



 車道を挟んで少し浮ついた街を横切る、人々を構成するその、一つの景色の中に。
 ひとつの。



 目が離せない。首は錆びついたブリキのようにぎぎ、とどこかで軋んだ音を立てた。
 声が出せない。ひりひりとさっき潤したばかりの喉が灼けつくように熱くて痛い。
 耳が遠く遠い。今まで聞こえていた全ての音がざあっと波が引くように彼方に消えた。
 足が動かない。店から数歩だけ離れた路地の上に接着剤を着けられて置き去りにされた。
 指先が求めた。けれど中途半端に伸べた手はそれきり力も意味も失って。



 瞬きとともに、私の中の全てが弾けた。
 全てが「正常」に戻った。
 瞳があなたの後ろ姿だけを追いかけている、それだけを除いて。




 気付いたらふらふらとあなたを追いかけていた。
 まるでへたくそな人形劇のように、足は縺れてそれ以上の意志を持たない。
 この時期にしては暖かい日差しを運ぶ太陽が、じりじりと少しだけ覗くうなじに注ぎ込まれる。
 そのまま脳髄に到達して、全てのシナプスが焼き切られていくような感覚に襲われる。
 どうして、とかどうしよう、とは考えなかった。
 考えられなかった。
 あなたは最後に見たあの時よりも少し髪が伸びて、それが光を弾いて風に流れて。
 私よりも十センチ以上高い視界に映るのは、そのままあなたのこれからを表すように真っ直ぐに伸びた歩道で。
 もちろんそこに私が、後ろからただ見つめるだけの私が、どうやっても映るわけはなく。
 どうして、とかどうしよう、とは考えなかった。
 多分、考えたくなかった。
 ふと視線をあなたの行く先に遣る。
 規則正しく煉瓦を敷き詰められたその歩道の先にあるのは、いつか誰かが教えてくれた、ケーキと紅茶がおいしいと有名な店。
 好きな人と一緒に行きたい店、とこの辺りでは評判なのだと聞いた店。 その、店の扉のそばに。
 優しくあなたに手を振って笑いかけるのは?
 どくん、と心臓が一際大きく痛みを伴って。



 硬直した視線に、ふと、その瞳が絡みついた。
 気がした。
 どうして、とかどうしよう、とは考えなかった。
 考えるより前に、目を逸らした。そのまま、すぐ脇に現れた細い道に入る。
 私は、上手く景色の中に溶け込めていただろうか?



 それから私は、何をしていたのだろうか。
 気がつけば、時計の針は夕刻を指そうとしていた。




 ガタンゴトンと、アナログなリズムに揺れて電車は進む。
 時折雲間に隠れる夕方の太陽は、だから朝よりは幾分色を持って輝いていた。
 久しぶりの晴天に誘われた、乗客の表情はいつもより明るい。
 私もそれにつられて、少しはしゃいだふりをしようとした。
 どうして、とかどうしようとは考えなかった。
 ポーズのために着けているイヤフォンから流れる音は、ただの記号の羅列で、何の意味も為してはいなかった。
 ただ、聴覚を遮る壁ができたおかげで、私と世界は、ほんの少しだけ、剥離していた。
 どうして、とかどうしよう、とは考えたくなかった。
 人々に囲まれて自分の周りから静寂が離れていっても、私の頭は空回りを続けていた。
 ただぐるぐると、壊れた映写機のようにあの時見た景色が繰り返し、繰り返し流れていた。
 それは意味がないようであるようで、実際のところ何の意味も為してはいなかった。
 どうして、とか何が、とは考えなかった。
 考えることができなかった。考えることもできなかった。



 ぺたりぺたりと、あまり美しくない歩き方をして私は進む。
 西に傾くやけに眩しい光が、一昨日染めたばかりの髪の毛を幾分透過して、それでも瞳に突き刺さる。
 久しぶりの晴天に見舞われて、私の頭は回り続ける。
 いつもより暖かいはずの空からは、それでも冷たさしか感じることができなかった。
 どうして、とかどうしよう、とは考えられなかった。
 思考はいつもそこで止まってしまうばかりだったし、ようやくそれを、突き止めようとするのを諦めることができるようになっていた。
 と言うより、まるまる三日そのことだけに費やして疲れていた、と言うのが本当だったが。
 はず、だったのに。
 どうして、とかどうしよう、とは考えてはいけなかった。
 携帯を開いてメールのフォルダを開こうとして、やめる。これも三日間、ずっとしようとしてやめて、を繰り返していた。おかげで携帯もずいぶんくたびれて見える。
 三日前に送られてきたメールは、だから結局最初の一回しか見ていなかった。
 スクロールするまでもない短い文。
 恐らく私がまた何かしでかさない限り、それが最後になるだろう。
 スクロールするまでもない短い文。
 拒絶の言葉。
 私は何もしなかった。
 ただ、私は、近くにいただけだった。友人として、もしくはそれ以上の存在として。
 それを許してくれているのだと思っていた。事実、私たちは近かった。周囲が、それを認めるくらいに。
 だがそうではないらしかった。
 どうして、とかどうしよう、とは考えてはいけなかった。
 もう考えても仕方のないことだと、これ以上もなく気付かされたはずなのに。見せつけられたはずなのに。
 なのに。なのに。
 私の頭は回り続ける。同じところをぐるぐると。止め処もなく終わりなく。吐き気にも似ためまいを覚えた気がして、私はその場にうずくまる。
 人気のない細い道。太陽はいくつかの欠片を残して山の裏側に隠れてしまった。私が帰るべき家までは、まだ、少し遠い。
 思考ははっきりしているようでぼんやりとして、あちこちが悲鳴を上げて痛みを訴えていた。
 意味もなく落とした視界の隅に、突然黒い染みが拡がる。見上げれば、黒い枝の先からぽつりぽつりと露が落ちてきていた。
 再び地面に目を落とした私は、呆けたまま、しばらくそれを見ていた。
 じわりじわりと拡がる黒。血のように。私の中の何かが、それに侵されていく気がした。
 ふと、空を見上げる。侵されていたのは私だけではなかったようだ。小さく、薄藍の中に星がきらめいて見える。
 膝を払って立ち上がる。太陽の欠片はもう、ほとんど散らばってしまっていた。
 のろのろと歩き出す。このまま帰るしか私には残されていない。
 どうして、とかどうしよう、とは考えなかった。
 私は考えるのをやめた。
 辺り一面が暮れてゆく。私の全てと一緒に。


―終―




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よく漫画で使われるようなリフレイン手法を
使ってみました。
好きなんです。