「そんな夕暮れ」


 時計を見る。時刻は午後の四時半過ぎ。まったりのんびり過ぎていった日曜日。外を見ればまだまだ青が敷きつめられている。ずいぶんと日も延びたものだ、ついこの間まで、今頃なら空は鮮やかなオレンジ色だった。
 ベランダに並んだ色とりどりの服はお日様の光をたっぷり吸い込んですっかり乾いていて、衣装ケースの中に収まるのを今か今かと待っている。だけどまだいたいのだろうか。日はまだずいぶんと高いから。だったら日が沈む頃になったら取り込んであげよう。はたはたと風に揺らめく洗濯物を見て、そんなことを考えた。
 今日はいい天気だったから、一日外に出ても良かったけど、穏やかな日差しのごとくのんびりと家の中で過ごすのもいいだろうと、午前のうちに洗濯と久々に本格的な部屋の掃除。こういう陽気の日は、何でだろう、少々面倒なことでもしたくなるから不思議だ。
 お昼ご飯はキレイになった部屋で白い皿に盛りつけたカルボナーラ。ソースはレトルトだけど、おいしかった。タバスコをちゃかちゃかとかけていると、「そんなにかけるなよ」と顔をしかめるアイツの顔が浮かんで同じように顔をしかめた。何でこんな良い日にアイツの顔を思い出すのだろう。ちょっとだけ自分に腹が立った。ちょっとだけ。



 お昼を食べてからコンビニに出かけた。徒歩五分で行ける、この辺で唯一の店。電車で足を伸ばせば大型店が建ち並んでいるけど、たいした用はなかったし、行けば行ったで大量に買ってしまう。アイツがいないとダメだ。荷物持ちがいなくちゃ。でも連絡をしようにもアイツは今頃三百キロぐらい遠くまで小旅行中。
 思い立ったが吉日のアイツは時々とんでもない行動を取って自分を含めた周囲の人間を困らせる。行方不明になったと思ったら一週間後にひょっこり帰ってくるし。ガラにもなく心配して待っていたらいきなり訪ねてきて聞いたこともない名前の和菓子を「お土産」とか言って渡すし。そして食べ始めるし。もうがっくりと肩を落とすしかなかった、今となっては懐かしい話。
 …アイツの話はやめよう。
 雑誌とおせんべいとパンを買って、店を出た。本当は飲み物も買うつもりだったのだが、まだ冷蔵庫に残ってるはずだし、今度買い出しに行った時にしようと思い直す。コンビニだと高いし。
 帰り道にある公園のベンチで少々ひなたぼっこをしてたら、うたた寝しかけて慌てて公園を飛び出す。誰に見られたわけでもないのに何となく恥ずかしい思いに駆られて小走りに家に帰る。軽く肩で息をしながらドアを後ろ手に閉める。バカみたい。と、呟いてみる。
 窓際に座り込んでぱらぱらと雑誌をめくる。窓型に切り取られた日差しが部屋の中に降り注いでくる。なんて平和な昼下がり。
 くあ、と一つ伸びをして固まった身体をほぐす。こきこきこきょっと、最後に少々不吉な音がした。…気にしない、気にしない。雑誌をマガジンラックに放り込むと立ち上がって、テーブルの上のノートパソコンのスイッチを入れる。テレビでも良かったが、それではこの穏やかさが壊れてしまう気がした。ぶうん、と音がして画面が明るくなる。とりあえずマウスをかちかち言わせてインターネットのブラウザを開く。まずは気になったニュースをいくつか覗いて、それからお気に入りのサイトを巡る。あとは、離ればなれになった友人達のサイトも。意気投合して喋り倒した仲だったから、レイアウトも内容もへたなサイトより見ていて楽しい。日記を覗いて近況確認をして、それでもずいぶん開いてしまった距離を思う。今でも時々メールはするけれど、顔を合わせたのはもうずいぶん前のことだ。さびしくはないけど、今の環境にいたたまれなくなった時、ああ会いたいなあと思う。
 そんなセンチメンタルな気分にも浸りながら、かちかち、時々かたかた。指は時々詰まりながらも滑らかに動いている。新しいこのパソコンにも、環境にももうだいぶ慣れた。慣れざるを得なかった。
 肩が悲鳴を上げていると気づいて、ぐるぐると回してみる。最近すぐにこる。この年で四十肩は嫌だ。絶対に。この痛みには慣れたくはないなとふと思った。そろそろ慣れそうで嫌だけど…。
 何となく悲しくなって肩を落とす。落とした視線の先にさっきのコンビニの白い袋があった。おせんべいでも食べようか。そう思って時計に目をやった。四時半を回っていた。
 おせんべいならお茶でしょう。と思って冷蔵庫を覗く。しまった、と思った。頼みの綱のペットボトルの中身は、思ったよりも少なかった。ため息をついて扉を閉める。今から買いに行くのは肩の痛みもいらない手伝いをして少々だるかった。
 仕方がない、作るか。



 食器棚に向かってシンプルな白のティーポットとクリーム色のマグカップを手に取ると、手近にあるウーロン茶のパックをティーポットの中に放り込む。それから電気ポットの蓋に手をかける。信じられない話だけど、このポットは時々注ぎ口からお湯がほとんど出なくなる。不良品だ。お湯を注ごうとする度に「ご機嫌」を伺わなくてはならない。それでおまじないみたいに、これを使う時は「今日のご機嫌はいかがですかー」とか尋ねてみる。もちろん一人でいる時だけだけど。
「…あ」
 いたよ、一人だけ。見られちゃったの。
 アイツだ。気が向いた時にひょっこり訪ねてきてご飯の用意とか掃除とかやってくれるんだよなあ。しかも私よりも美味しいんだよ。悔しいけど。ケチをつければちょっと私には薄いけど。
 あの時は部活のせいで夜も遅くて、しかも少し眠かったんだよなあ。部活と言っても名前だけで、いつも教室に集まってみんなでだべってるだけなんだけど。人数もいないし。大体「N●Kの明らかに子供向けじゃない子供向け番組について語り明かす部」になんて誰が入りたがるんだろう。長いし。いや、私は立ち上げた先輩と仲がいいから数合わせも兼ねて入ったんだけど。アイツは何で入ってきたんだろう。むしろどこで知ったんだろう。気になるけど未だに聞いてない。
 ノド乾いたからなんて言われて、渋々部屋に上げてアイツがトイレに入ってる間にウーロン茶でも淹れてやろうかと思ってついいつものようにお伺いを立ててたら、絶妙のタイミングで入ってきたんだよなあ。二人同時に固まって、危うくヤケドするところだったっけ。ああもう、あの時のことは思い出す度に顔が赤くなる。
 その後でアイツにも言われたけど、ポットなんて買い換えればいいだけの話だけど、もういい加減慣れてしまったし、ちゃんとお湯は沸かしてくれるし、買うお金ももったいないし。何だか人間みたいで愛着も湧いてきちゃったし。気むずかしい同居人みたいな感じ?
 なあんてね。
 いつもの通りにお伺いを立ててティーポットに注ぎ込む。いつもこの時はちょっとドキドキ。…よし、今日は機嫌がいいぞ。一人分の量はだいたい分かってきた。最初の一杯はどうしてもものすごく濃いやつが出来るから、ほんの少しだけ少なめに。
 すぐには出来ないから、パソコンに入っているゲームをして暇つぶし。そう言えばこの間このゲームやりすぎて、マウスの使いすぎで人差し指がつりそうになったっけ。いくら何でもやりすぎです。休憩ぐらいいれましょう。と、自分に一人警告。空しい。先におせんべい食べてもいいんだけど、ノド乾きそうだし。うん。
 …そろそろいいかな?
 ティーポットを持ち上げて、そろそろと軽く回す。ゆっくりと傾けて、とぽとぽとクリーム色のマグカップに注ぎ込む。
 うえ…、やっぱり濃そう。何だろうこの色は。コーヒーだろうか。いやこれは違うだろう。
 はあ、と何に対してだか分からないため息を一つつくと、もう一度ポットのそばに行く。面倒なので上の蓋を開けて、側に常備してあるおたまで直接お湯をすくう。裏技裏技。薄めるなんて何となくいい気はしないけど、こんな色のウーロン茶を飲むなんて、徹夜の時だけで十分だ。丁重にお断りしたい。
 ほわほわと湯気がうっすらと立つ。もうだいぶ暖かいから、さほど目には見えないけど、手をかざせばしっとりと湿ってくる。そろそろ温かいのよりは冷たいのが欲しい気分にはなってきたけど、それでも温かいのを手に取ると、何でだろう、今立ち上る湯気みたいにほわほわとした気分になる。どちらかと言うとカフェオレとかココアとか、少し甘味があるものだともっとほっとするんだけど、緑茶とかウーロン茶でもだいぶ落ち着く。
 緑茶は小さい頃から飲んでたからかな。両親が共働きだったけど、ばあちゃんが家にいたから、ばあちゃんっ子でお茶は水代わりに飲んでた。朝ご飯の後には緑茶、夕ご飯の後には玄米入りのほうじ茶。どうでもいいけど、家ではほうじ茶を番茶と呼んでいた。何でだろう。もしかしたら「晩茶」の意味だったのだろうか。未だに謎だ。
 ウーロン茶は…アイツがよく飲んでるからかな。悔しいけど、だいぶ感化された。あえて汚染とでも言ってやろうか。悔しいから。
 ふうふう、とおまじないみたいに息を吹きかけて、ゆっくりと啜る。
 音を立てるものはパソコンと時計と、蛍光灯だけ。
 ずずっ、という音は狭い部屋に、やけに響いた。
「…うあっち」
 誰がいるわけでもないのに無意識のうちに愚痴をこぼした。気がつくと眉間にもしわを寄せていた。
 そうだった、自分は猫舌だった。小さい頃どちらかと言うと緑茶よりもほうじ茶の方が好きだったのも、ひとえに熱いうちに飲めなくて、緑茶がとんでもなく苦くなってしまうからだった。今は少しは改善されて、ラーメンも出されてすぐに口に出来るようにはなったけど、やっぱり苦手なものは苦手だった。
 うーん、何たること。自分のことを忘れてるなんて。まあ、最近こうやって作ってなかったし、と自分のボケっぷりを誤魔化して、もう一度息を吹きかける。今度は飲めるようになりますようにと、ささやかな願いを込めて。
 ずずっと啜る。さっきよりは驚かないけど、やっぱり熱い。しかも少し濃い。薄めようかと思ったけど、また熱くするだけだと我慢した。
 一口、二口と進むにつれて、五臓六腑に温かさがじんわりと染み渡る。ああ、いいな。こういう気分。
 自分は単純だから。こんなことで癒されてしまう。
 一人きりで何だかさびしいなーとか思っても、イライラしてても、例えばアイツと一緒にいて、会話が進まないなーとか思っても。何だか知らないけど、にへら、と顔が崩れてくすりと笑ってしまう。たった一杯にどうして心が動くんだろう、と少し悔しくなっても、憎たらしいとは思わない。アイツと一緒で。何だろう、この気持ち。
 飲み頃になったウーロン茶を一気に飲み干す。じわじわじわ。広がる温かさはそのまま、心の温度になる。
 外は少しだけ夕焼けの色をにじませて、気の早いカラスたちがねぐらへ向かってゆく。洗濯物を取り込んであげないと、そろそろ寒くなってくるだろう。だけどもう少しだけこうしていたい。
 何だろう、この感覚。
 まるで。
 そう、それはまるで。
「…恋してるみたいだ」
 ぽつりと一人で呟いて、それから、爆笑した。
 そんな夕暮れ。




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…オチが弱いなぁ。その割に詰め込みすぎ。
しかもタイトル浮かばないし。結局妥協案。いやん。
久しぶりに書いたと思ったらこんなんかよと。